問3 下線部@〜Iについて、次の(1)〜(10)の問いにそれぞれ答えなさい。 |
(1) 下線部@の「聖武天皇」の時代の出来事を、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 法隆寺が建てられた。 イ はじめて藤原氏が摂政になった。 ウ 『古事記』が完成した。 エ 紫香楽の宮に都を移した。 |
解説 |
ア:法隆寺は飛鳥時代聖徳太子によって建立されました。
イ:藤原良房が858年 臣下としてはじめて摂政になりました。
ウ:『古事記』が完成したのは712年,太安万侶が元明天皇に献上しました。 |
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答 エ |
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(2) 下線部Aの「口分田にかかる税」の正しい説明を、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 租とよばれ、地方の財源となった。
イ 粗と呼ばれ、都に送られた。
ウ 調とよばれ、地方の財源となった。
エ 調とよばれ、都に送られた。 |
解説 |
調は地方の特産物で、都に送られました。
中央政府の財源になるのは調のほか、都での労役の代わりに布を納付する庸がありました。
庸や調を都まで運ぶのも農民の負担でした。 |
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答 ア |
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(3) 下線部Bの「農業生産力を高め」た室町時代の農村に見られないことを、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 牛馬での耕作 イ 水車の使用 ウ 千歯こきの使用 エ 農作物の品種改良 |
解説 |
脱穀具の千歯こきは江戸時代から使用されました。 |
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答 ウ |
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(4) 下線部Cの「芸能」のなかで、室町時代の都市・農村に見られないものを、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 歌舞伎 イ 田楽 ウ 盆踊り エ 祇園祭 |
解説 |
歌舞伎は安土桃山時代に出雲の阿国がはじめた。 |
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答 ア |
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(5) 下線部Dの「農民」が、江戸時代の全人口にしめる割合を、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 約40% イ 約55% ウ 約70% エ 約85% |
解説 |
武士5〜6%,農民80〜85%,工3%前後、商人6%前後、賤民1.7%前後,神官僧尼が1%前後 |
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答 エ |
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(6) 下線部Eの江戸時代の「ききん」に三大ききんとよばれるものがあります。この三大ききんの時期に重ならない出来事を下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 徳川吉宗の政治改革 イ 島原・天草一揆 ウ 大塩平八郎の乱 エ 浅間山の噴火 |
解説 |
江戸三大飢饉は、享保・天明・天保の飢饉を指す。
享保は徳川吉宗の治世。
大塩平八郎は天保の大飢饉の後「救民」の旗印を掲げて大坂で蜂起した。
浅間山の噴火は1783(天明3)年。溶岩流と火砕流が発生し群馬県側に流下、1,500人の死者を出した。
島原・天草一揆は1637(寛永14)年。 |
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答 イ |
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(7) 下線部Fの「身分制度を解体」した政策の説明としてあやまっている文を、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 武士は士族とされた。 イ 農民・職人・商人は平民とされた。ウ アイヌの人々に解放令が出された。 エ 公家と大名は華族とされた。 |
解説 |
アイヌの人々を民族として否定し同化政策をとる「北海道旧土人保護法」1899年(明治32年)制定。
北海道旧土人保護法等が廃止され『アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ新法)が公布されたのは1997年。
「賤民解放令」は1871年(明治4)布告。 |
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答 ウ |
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(8) 下線部Gの「地租改正」が実施された後、米価が下落したときにおきたことを、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 農民の地租が負担が重くなった。 イ 国の地租収入が増えた。 ウ 農民の地租負担が軽くなった。 エ 国の地租負担が減った。 |
解説 |
地主から地租を現金で納めさせたため、豊凶、相場変動に関わらず、国の地租収入は一定になった。農民は地主に現物で納めていたため、米価が下落すると物納負担が大きくなった。 |
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答 ア |
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(9)下線部Hの「アジア・太平洋戦争」の時代,11・12歳の子ども(現在の小学校6年生)にみられなかったことを、下から選び記号で答えなさい。 |
ア 平均身長と平均体重が低下した。 イ 学校で戦争の訓練をした。 ウ 軍需工場に動員されて働いた。 エ 都市から地方に集団疎開をした。 |
解説 |
軍事工場に学徒勤労動員として働いたのは中学生以上。当時義務教育は6年間。1947年から義務教育は9年間。 |
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答 ウ |
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(10) 下線部Iの「民主化政策」にあてはまらないことを、下から1つ選び記号で答えなさい。 |
ア 労働組合の結成を保障した。 イ 女性に選挙権を与えた。 ウ 6・3制の義務教育を始めた。 エ 自衛隊を発足させた。 |
解説 |
自衛隊の前身警察予備隊は朝鮮戦争でアメリカ軍が出動後の日本国内の治安に対する応急処置として1950年発足した。
以後の日本の再軍備課の出発点になった。 |
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答 エ |